選ばれた魂も選ばれない魂もない。みんな神の愛へと戻っていく。
こんにちは。
Fumiko です。
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「○○として選ばれた魂」という言葉には、人の心を魅了する力があります。
自分がしている仕事や活動について「自分は○○として選ばれた魂なのだ」と考えることは、大きな励みになります。
どんな仕事も活動も、何の障壁もなく進むことは稀です。
壁や困難にぶつかったとき、「これは天から与えられた仕事」「自分は○○として選ばれた魂」と考えると、目の前にある壁や困難を乗りこえる勇気と自信が湧いてきますものね。
でも、「○○として選ばれた魂」という言葉には、多少の戸惑いを覚えてしまいます。
「選ばれたなら、選ばれない魂もあるの?」という疑問が浮かぶからです。
そして、選ぶのは宇宙意識あるいは神ということになると思いますが、神ってそんなに狭量な存在なのでしょうか。
「○○として選ばれた魂」という言葉に出合うと、わたしは天上にいる全知全能の神がちっぽけな人間たちを「汝はこっち、汝はそっち」と選別している図が浮かんでしまいます。
まあ、これは大げさな想像ですが。(笑)
わたしたちは神の一部でありながら、狭い顕在意識の領域では、自分が神だなんてとても思えません。
わたしたちは、ただ神に気づいたり体験したりすることができるだけです。
今、引用する言葉がないかなと思って「あるヨギの自叙伝」をパッと開いたら、まさにそのページにぴったりの文章が書いてありました。
ヴェーダには、神の創造の目的について、人間の理解しうる限度で説明がなされている。
人間の魂は絶対者から生まれて最後には再び絶対者の中に合一するまでのそれぞれの生涯を通じて、神の無限の属性の中の一部をおのおの独自の形で表現するように神がおつくりになったのである、と聖賢たちは教えている。
すべての人間はこのように、神の個性の一面を賦与されているがゆえに、神にとって等しく貴重な存在なのである。
- ヴェーダとは、紀元前1000年から紀元前500年頃にかけて書かれたバラモン教とヒンドゥー教の聖典のことです。
簡単に言えば、それぞれの人間の魂もその生き方も神の多様な表現のひとつだということだと思います。
この考え方には、わたしは深く納得できます。
人間の魂は、この地球に転生してくるとき、それぞれ課題や目的をもって生まれてきます。
その課題や目的は、ガイドとなる魂と相談することはあっても、結局は自分が選択してくるのです。
神は、わたしたち人間が測り知ることのできない「愛」であり「光」であり「無限の存在」であり、わたしたちのすべてを包み込んでいます。
わたしたちは、「選ばれた魂も選ばれない魂もなく」やがて神とひとつなるために神に戻っていく。
わたしはそう考えています。(*^-^*)
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