「見ザル聞かザル言わザル」根源的な孤独感と罪悪感
こんにちは。
Fumiko です。
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いきなり孤独感と罪悪感の話です。
「人間には根源的な孤独感と罪悪感がある」と言われると、キリスト教の原罪の話と間違われるかもしれません。
そうではなく、魂がこの三次元の世界に生まれてくるときに「本源の光」の中にいた記憶を失くしてくるために、誰の心にも潜在的にある孤独感と罪悪感のことです。
つまり平たく言えば、無限の愛の中にいたことを忘れてしまったために、自分は神から見捨てられた存在なのだと感じてしまう孤独感、それは何か悪いことをしたからではないかと思う罪悪感ということでしょう。
個々の魂が、転生を繰り返す数々の人生ドラマの中で抱いてきた孤独感と罪悪感というのは、もちろんあります。
ヒプノセラピーを学び生業とするようになってから、何度となく自己催眠で前世に戻り、自分を幸せにしない感情や信念を解放してきました。
もちろん、孤独感も罪悪感も解放してきたつもりです。
それで、ものすごく軽くなりました。
若い頃のわたしを知っている人からは、「人が変わったようだ」と言われるようになりました。
それでも、時々顔を出すのが、この孤独感と罪悪感です。
たしかに、十戒を犯してしまうような罪深い前世もあったので、そこは書き換えまでして解放したつもりですが、まだ解放しきれていないのかと思っていました。
でも、根源的な孤独感と罪悪感と聞いて、これもたしかにあるかもしれないと思い、自分の潜在意識を探ってみました。
すると、ありましたね。
どんなイメージが出てきたかというと、目を固く閉じ、耳を塞いで、ちぢこまって震えている猿が一匹。
「見ザル聞かザル言わザル」は三匹の猿ですが、一匹で三匹分を体現しているようです。
「本源の愛」「無限の愛」から離れてしまったと思い込んでいるので、深い孤独感と罪悪感から「見ザル聞かザル言わザル」で固まってしまっているのです。
このお猿さんはもちろん解放しましたが、根源的な孤独感と罪悪感というのは根深いものらしく、時々戻ってきます。
人生ドラマの中で体験する孤独感と罪悪感は、ヒプノセラピーやブロック解放などの方法で解放できますが、これはどうしたものか・・・。
そこで、毎朝していた瞑想を朝晩2回することにしました。
1回と2回じゃ、こんなにちがうものなのですね。
瞑想の効果はすごい!
「思考のおしゃべり」が止まり、心が静かになり「無」の状態になると、「本源の愛」のエネルギーがわたしたちの心身に流れ込んできます。
すると、心も身体も深い喜びと平和に満たされます。
自律神経を整えるとか免疫力が向上するとか、もちろん身体的効果も大きいのですが、瞑想をするメリットは「本源の愛」に触れる体験にあるのですね。
今、わたしの潜在意識の中には、子どもを抱いて穏やかな目をした猿がいます。
まだ、猿がいるのが面白いところですが、その猿は穏やかで生き生きとして健康に見えます。
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